米国は、ここまでしてよいのだろうか

2026年8月18日、米国政府は国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定しました。
米国政府は以前から、ICCが米国やイスラエルなどICCの管轄権を認めていない国の関係者を捜査・訴追することに強く反発しています。
トランプ大統領は2025年2月、ICCによるこうした行為を米国の国家安全保障や外交政策に対する脅威と位置付け、大統領令によって制裁を可能にしました。
今回、その対象となったのが赤根所長個人です。
私は、この米国政府はここまで本当にやったのかという思いがあります。
米国がICCの判断に反対することは理解します。
ICCの管轄権について、異なる法的見解を主張することも理解できます。
しかし、自国にとって受け入れ難い司法活動を行った国際裁判所に対して、組織ではなくその所長個人を経済制裁の対象にする。
これは明らかに行き過ぎではないでしょうか。
それが現在の米国法上可能かどうかの問題ではありません。
法律上行使できるのかということと、それが妥当であるかということは違います。
ましてICCは、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪など、国際社会全体に関わる重大犯罪について個人の刑事責任を追及するためにつくられた国際裁判所です。赤根氏個人の組織ではありません。
その判断が米国にとって不都合だからといって、世界最大級の経済力を持つ国家が、その力を背景に裁判所の関係者個人に制裁を科す。
これは国際司法機関の独立性に対する重大な圧力です。
そんなことが許されるのかと思います。
そして、ここでさらに考えなければならないことがあります。
これは独裁国家で起きていることではありません。
民主主義国家である米国で、選挙によって選ばれた大統領とその政権が行っていることです。
ここには二つの問題があります。
一つは、この判断がトランプ大統領とその周辺だけの独断ではなく、米国の民主主義という仕組みを通じて行われた国家としての判断であるなら、それは国際社会からは米国の意思として見られるということです。
それが本当に米国民一人ひとりの意思を反映したものなのかは分かりません。
しかし、民主主義というシステムによって選ばれた政権が、米国という国家として行った以上、国際社会からは米国民が選択した国家の行動として見られることになります。
「アメリカならやりかねない」と、ある意味仕方がないこととして流してしまってよいのでしょうか。
これは、私たちが「同じ価値観を持つ同盟国」という括りでアメリカを見続けてよいのかという問題にもつながります。
もう一つは、逆に、この私たちから見れば非常識とも思える判断が、トランプ政権の独断に近い形で行われたのだとすれば、そこに民主主義としての機能が働いているのかという問題です。
民主主義国家であっても、権力の行使が常に妥当であるとは限りません。
憲法があり、法律があり、議会があり、裁判所があっても、権力を持つ者がより権限を強めようとすれば、法によって与えられた権限を最大限に使おうとすることがあります。
法律上許される範囲で、ありとあらゆる権限を行使しようとすることもあり得ます。
それを誰が、どうやって止めることができるのでしょうか。
法律によって権力を制限することには限界があります。
権力を監視し、必要なら止める仕組みにも限界があります。
どれほど法律を整備しても、将来起こるすべての事態をあらかじめ規定することはできません。
最後には、権力を持つ者自身の見識、モラル、倫理観も問われることになります。
同時に、有権者側の見識、モラル、倫理観も当然に求められます。
だからこそ、権力の暴走をできる限り抑える仕組みを持つと同時に、それだけに頼らない民主主義を考える必要があるのでしょう。
米国で現在起きていることを、私たち日本人も他人事として見ていられません。
民主主義だから大丈夫なのではありません。
民主主義であっても権力は暴走する可能性がある。
そのことを前提として、日本の民主主義の仕組みも考えなければならないのではないでしょうか。

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